特別投稿<クィーン・オブ・カーリング逝く>
2000年3月2日サンドラ・マリー・シュマーラーが亡くなりました。
36歳、2歳のサラと半年に満たないジェナの2人の娘とご主人を残して、ガンでした。
主な経歴としては'87サスカチュワン州で優勝、'92ミックスの大会でも優勝それぞれサードを務めていました。
そして'93に自分がスキップとしてチームを作り、サスカチュワン州の代表となりスコット選手権”(カナダ女子選手権)と世界選手権に優勝し、翌年もチームカナダ(前年度優勝チーム)として出場し2年連続世界選手権を連覇しました。その後しばらく低迷しましたが、'97年に再浮上し世界選手権を勝ち取り、その年のオリンピック・トライアルの決勝では信じられないようなショットを決めてカルガリーのチームに勝っています。その時にとても印象的なコメントを残しています。「あのショットは多分私が今までに決めた1番いいショットの1つに上げてもいいと思うわ。サラ(大会の9週間前に生まれた娘)が今までで1番いいデリバリーなので。あのショットはそれにすごく近かったわ」(デリバリーは子供を産むという意味もある)また、カーリング以外に何が得意かという質問に対して「家に帰ってママでいたい。それが1番上手くできることだから」と答えています。
'98長野では決勝でデンマークを下し、カーリング史上初めてのオリンピック正式種目として金メダルを獲得しました。
地元リジャイナに戻ったときの市民の歓迎ぶりは彼女が地域でどれだけ愛されていたのかわかるものでした。
その年の夏の初めにガンが見つかり、9月には緊急の手術を受けています。手術後、結果は思わしくないと彼女の母親がマスコミにコメントしていました。ところがその10月に彼女達のチームが書かれた本の出版サイン会に出席し誰もが驚いたそうです。
今年の2月にもモンクトンであったカナダジュニアに、オリンピックのゴールドメダリストとしてゲスト出演し、テレビのニュースでも闘病について「いまいましい闘いだった」と手術の為痛めた咽から搾り出すような声で話をしていました。また時折流す涙と咳でジョークが途切れることもありました。退院をして1ヶ月たたないときで15キロも痩せ、黒い帽子をかぶり化学療法の副作用で抜けた髪を隠していましたが、「本当に今ここに居ることに満足しています」とコメントし、2月の終わりにある”スコット選手権”そして男子のカナダ選手権”ラバット・ブライアー”にコメンテイターとして出演すると話をしていました。また今まではいつもカーリングをしていたのでウィンター・バケーションを取って暖かいビーチで過ごしたいと言っていました。その後はまたカーリングをしたいとも話していました。その姿にファンは励まされ、いつか彼女のカーリング姿を見られると心待ちにしていましたが、その夢はかなえられることなく、あまりにも早すぎる一生を終えました。
彼女の葬儀はリジャイナで600人以上の人が詰めかける中行われました。出席者の中にはサスカチュワン州知事やリジャイナ市長などの著名人も出席しました。同時に彼女のホームグラウンドのカリー・カーリング・クラブにも人々が集まり、ブライヤーの会場でも葬儀の様子がモニターに映し出され冥福が祈られました。セカンドのジョアンのご主人であり、ミックスの優勝でもスキップを務めた、ブライアン・マッカスカーはその席で「13年来の友達であり彼女のファンだった」と追悼の言葉を述べています。
また彼女は最後までカーリングのファンで、病院でも「こんなところに居るのはもうやめましょう。今週からブライヤーだって知らないの?」と話していたそうです。彼女は数々の輝かしい記録とはかけ離れたごく普通の人だったとも話しています。彼女のことをチームメイトはよくものを忘れたので"ditzy"(忘れん坊)と言っていたそうです。同時に彼女は人生に前向きな姿勢で臨んでいたと話していました。出身地のビッガーでは彼女の名誉をたたえて1つの公園に彼女の名前がつけられたそうです。
私は幸運にも'93年の世界選手権に出場し、間近に彼女のプレーを見ました。その時はまだサンドラ・ピーターソンの名前で出場していて、控室で彼女のチームといっしょになったときの印象は、リードとセカンドの2人がとても明るく、サードのジャンは落ち着いた様子でサンドラは少し神経質になっていたのか、近寄りがたい雰囲気がありました。
ゲームが始まるとどのチームより大きな甲高い声で「Hurry〜」という声が会場一杯に広がっていました。
その後チームカナダでは黒いプリーツスカート姿で出てきたのが素敵で、私たちのチームはまねをしたものでした。
5年後オリンピックで彼女を再び見たときは女王の貫録を感じました。
公式練習でチームメンバーとアイスの状況を綿密に話し合っている姿、そして優勝、
インタビューでの輝かしい顔が印象的でした。
その時はこれからも何度となく世界選手権を勝ち取っていくだろうと確信したのは私だけではなかったと思います。
本当に寂しく思い、心からご冥福をお祈りします。
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